ウシーガジマルは海を見たい 早野ログ

早野嘉洋

『ウシーガジマルに行く道が開通したらしいぞ。ちょいと行ってくるわ。』

今年のゴールデンウィークを無事に働き詰め、久しぶりの休日に棚上げにしていたあれ頃を片付けていた私に山本さんが話しかけていた。心なしかその声は弾でいる。

シーサー阿嘉島店の料理人にして整備士にして船長にして一児の父でもある山本さんは今日はその手に大ぶりの鉈を持ち、最近ますます何者かわからなくなっている。

そして何を言っているのかもさっぱりわからない。ただ一つ言えるのはこの人が声を弾ませるときは経験上、大概ロクなことはないということだ。

 

 

こういう時、賢明なスタッフは『急用を思い出した』と日本の伝統ともいえる古典的ウソを吐き、ヤシャハゼよりも迅速に自分の巣穴に逃げるべきなのだが、

 

『おお。んじゃオレも行きます。連れて行ってください。』

生憎、私は賢明じゃないほうのスタッフだった。

 

もっとも私も自然を相手にする職業の端くれ。何やら特別なガジマルの木を見に行くために、森に入ることは予想できたので、天気予報くらいは確認している。こんな時は慎重な前準備が大切なのだ。

うむ。雨雲がすぐそこに迫っているな。

よし。だったらさっさと行こう。

こういう時は迅速な判断がものをいうのである。次回がいつになるかもわからない。人生は短いのだ。

 

無謀行脚に参加したのは言い出しっぺの山本さん、私、そしてシーサーのエリアマネージャー福田さん。

福田さんはもともとダイビングのガイドだったが、今は経営陣に加わっており、ゲストハウス『マイプレイス』や『シーサーセブ店』作りを手掛けたやり手である。今回同行したのは『阿嘉島の陸メニューを作れまいか』、という私と違ってずっとスマートな動機のお方である。

しかし、

山登りの格好が全然スマートではない。

足元一つとっても先頭の山本さんから『便所サンダル』『クロックス』『ギョサン』である。

因みにギョサンは私だ。スマートだと思っていた人たちに一歩近づいた気がする。進んだ方向は一歩後ろだが。

 

 

向かう先は『ジジヤマ』の『ウフタキ』と呼ばれる神聖な祠(ウタキ)のさらに奥。

まずはウフタキを目指して歩みを進める。

未舗装とは言え、少なくとも年に一度は『ウガン』(拝むこと)に来ているだけあって、道もそれなりの広さである。頭上も開けていて圧迫感もない。

とはいえ高齢化が進む阿嘉島の昔からの住民には少し堪える傾斜だ。

毎朝ジョギングをやっておいてよかった。

 

おお~。

急に開けた場所に出たら、ウタキが現れた。

近くには完熟したシークワーサーが実り、地面は苔のじゅうたんが心地よい。

こんな場所があったのかと、阿嘉島に来て初めて訪れる場所を目の前に、軽い感動を覚えた。

水中でもそうだが、自然に囲まれた場所に突如として現れる人工物は、ある種の神秘性を感じさせる。長い年月を感じさせる風化の具合が加わるとその存在感はひとしおである。

しかしここはまだチェックポイント。

目当てはウシーガジマルと呼ばれる大きなガジマルの木だ。

言っとくがこれも道である。

目を凝らして植物を見ると、わずかに草の背が低く竹がないエリアがある。左右には以前開通させた人が切った竹の跡もあった。

なるほど。山本さんが鉈を持っていたのはこのためか。少しでも広げておかないと、すぐにこの道はふさがってしまう。

昔、セブのツアーで渋滞を避けて未舗装の場所をショートカットしたら、『道なき道を進んでいった』と口コミをいただいたことがあるが、本当に道なき道は道じゃない。皆さんも今後の人生のためにも『道』の概念を一度考え直したほうがよさそうだ。

振り返ると自分が着た道すらわからなくなる。こりゃ迷うな、と思った私は、30年位前のボーイスカウト時代に教わった『未開の地の歩き方』を思い出し、シダ植物の葉を手折り、ひっくり返して葉の先端を来た方向に向けておいた。本当に人生何が役に立つかわからない。人間何事も経験である。今日の経験も30年後に役に立つかもしれない。そのころ70歳だけど。

そんなことを考えつつ山本さんは鉈で、我々は素手で竹をへし折りながら、将来ツアーでゲストを案内するであろう道を広げながら進んでいった。

過酷な道程の後に表れる絶景とはまたにくい演出である。霧がかかっているのが本当に惜しい。

地形から見るに阿嘉島の先端、黒崎と亀ポイントの義名だ。

濃い霧がかかってすぐに見失ったが、奥には河童岩も見える。

 

そして———

おー・・・。

急に開けた場所に出たら、ウタキが現れた。

近くには完熟したシークワーサーが実り、地面は苔のじゅうたんが心地よい。

こんな場所があったのかと、阿嘉島に来て初めて訪れる場所を目の前に、軽い感動———黙れ。

 

 

 

 

戻ってきた!

力いっぱい戻ってきた!

間違いなく23分前に見たウタキだ。

気分は友との惜別の後、10分おきにコンビニと駅の切符売り場で再会した時のアレだ。ホント気まずいったらありゃしない。次会えるかもわからぬ気持ちで別れたはずなのに、気持ちはギュンギュン落ちていく。惜別のデフレーションだ。

 

いやそんなことを言っている場合ではない。

目当てのガジマルはどこにあるのだ??

 

 

そういえば山本さんが最初に言っていた。

『開通したらしい』と。

ガジマルの場所は誰も知らんのだ。

そもそも地図はあるが、

 

昭和57年作成。

精度は悪くないが38年前の地図だ。

改めてみるとアバウトだな。

そもそも出発前まで私は地図すら見ていなかったのだ。

山本さんが大体の場所は分かるといっていたのでホイホイとついてきたのが私の賢明でないところである。

改めて場所を確認し、ウタキを左に曲がった先の左側に道があるということが分かった。

とはいえ3人が見逃した道である。

道なき道は本当に道じゃないのだ。さっき覚えたことを速攻で失念していた。

途中までは道はあっていたようなので、もう一度進むことにした。

少なくとも最近人は通っているのだ。左側に目を凝らすと何かしら形跡があるはずだ。

これほどまでに道をまじまじと見るのは、雪山で遭難しかけた時以来だ。

ふと茂みの奥を見やると不自然に草が枯れている。そして倒れている。

実家が農業をやっていたから分かるのだが、草は枯れても簡単には倒れない。拾い上げると刈り取られた形跡がある。『道』だ。

ここもどうやら道だったようだ。『開通』の概念も上書きしたほうがよさそうである。

多分開通作業も後半になり、作業が雑になっていたのだろう。

そんなことを考えながら進むと、ついにお目当てのガジマルが現れた。

 

 

ガジマルは『引っ越しする木』とも呼ばれる広範囲に広がる木の種類である。手持ちのスマホではどのアングルからも全体像を写すことができないほどだった。

起点となったはずの場所からはタコのように枝を伸ばし、根を下ろしては杖のように本体を支えるも、マイケルジャクソンのゼログラビティーさながらに先端は支え無しで10m以上水平方向に太い枝を伸ばしていた。

かつて阿嘉島でカツオ漁が盛んで、鰹節を作るための薪を採取していた頃は、人が頻繁に訪れ、ここから海が見えたそうだ。そう教えてくれたのは、遅れて現れた開通に携わったT氏だ。

そういえばさっきから波の音が近い。

ガジマルはかつて見た海を求めるように、その長い枝を海の方向に向けて伸ばしているようだった。

森を出てT氏の車でスタート地点まで運んでもらった後、乗せてもらったお礼を済ませると、山本さんと福田さんは早速コースのアクティビティー化の話を始めていた。

『今日はありがとうございました。でもはよ帰らんと雨に打たれますよ。オレ休みの日はだいたい雨降りますんで』

時期が時期なこともあり、風邪でもひかれてはならんと思い、お礼もそこそこに不吉な言葉を残して私は帰ることにした。

幸運にも保ってくれた空は今にも崩れそうだった。

2時間の貴重な探検の経験を終えた私は帰り道に自転車をこぎながら思った。

舗装された道って最高。と。

 

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